10年。節目と言われるけど、ただの通過点。じっと時を待っていれば良くなるというわけでもなく、動けば厳しい現実と向き合わなければならない。嫌だと言ってもこの震災・避難の経験が消えるわけでもないし。
避難元にあった家は解体除染して、土地は更地となるなど避難元と繋がれる「スイッチ」は限りなく少なくなった。でも自分の記憶の中には息づいているが、年々おぼつかない状態となりつつある。
思い返せばいろんな人との出会いの10年だった。多分いろんな思惑があったのだろう。交わす言葉はあるけれど、意思疎通ができたと感じられない人は少なくなかった。それでも多くの支えを頂いたことに感謝している。それは今の自分という存在の証でもあるから。
社会的な節目は毎年やってくる。その時に自分自身の“思い”が晴々としていて欲しいと願うばかりだ。まだ「願い」って言っている時点で、かなりの時が必要な気がしてきた。
一度、日常が壊れると本当に時間がかかるものです。喉元過ぎれば熱さを忘れるとは言われるけど、忘れたころに災いはやってくるとも言います。いつも気を張って生きるのは辛いけど、この時だけでも、地震、津波、原発事故のことを考えて見て下さい。