阪神淡路から20年、東北から10年、復興と結びつき

矢田博之50代男性

震災時居住地:埼玉県さいたま市

現居住地:兵庫県西宮市

タグ: 地震

阪神淡路の時は、入社一年目でズタボロになった阪神間の鉄道網の復旧に無我夢中で尽力しました。火災、建物崩落、阪神高速倒壊の跡地を歩き、完全倒壊した六甲道駅など、一駅一駅、線路が繋がっていく先へ先回りし、駅の情報機器の復旧をしていきました。そして311は東京都内で揺れを体験し、さいたま市の自宅まで、保育園の娘を迎えに都市交通機関のマヒした都心から27kmを歩いて6時間かけて帰宅。3歳の誕生日を目前にした娘を抱えてエレベータの停止した自宅マンション8階まで階段で上がり、家具が倒れ無茶苦茶なまま、ベットの上だけ片づけて娘を寝かしつけ、テレビで東北の惨状をしり、神戸の時の記憶がフラッシュバックするなか、自分に出来ることは何かと問い続ける日々でした。あれから10年、地元関西へ帰り、震災から復興した街、神戸HATにある「人と防災未来センター」と言う震災の記憶を残す、これからの地域防災を考える通称「ひとぼう」という防災拠点でボランティアスタッフとしてお手伝いしてます。神戸と東北その地域を結ぶ活動が今、始まっています。今度、東北に震災記憶として残されている伝承ロードを関西からロードバイクで走ることを考えています。交通手段の麻痺を味わったからこそ、意味があるかは分かりませんが、でも、何かを繋ぐことをしてみたいと思うこの10年でした。