「節目」とすることの違和感と意義

大塚光太郎30代男性

震災時居住地:埼玉県

現居住地:岩手県

タグ: 岩手

「震災から10年」
私は今「被災地」で生活をしていますが、この言葉を住民から聞いたことがありません。
理由はなんでしょうか。
コロナ感染拡大に関心が移っているからでしょうか。
住民にとって改まって口にする必要のない、実感のわかないことだからでしょうか。
震災は時間で区切って触れられる出来事ではなく、時間が止まったままだからでしょうか。
様々な理由があると思いつつ、一つの理由で語れるものではないだろうと私は感じています。
「節目」は時に、そうした繊細で複雑な揺れを脇に置いて体験を振り返らせ、理想の被災者像を押し付ける目的で使われることがあります。
そうでなく、各々のこれまでと今を尊重すると同時に、大局的な視点で疑問や反省の契機とすることが大切と考えます。
支援者は「復興支援」というきれいな言葉に酔い、「被災者」を「弱者」にし続けてしまわなかっただろうか。
原発をはじめ、歪みを孕んだ社会構造のまま進む復興は住民のための復興となりうるのだろうか。
こうした疑問と反省を基に、皆で歪みを正す先にある復興が求められているのではないかと思います。
「震災から10年」がその契機となることを願い、できることをしていきたいです。