悼みきれなかった痛みが心の傷みに

かりんとう下咽頭50代男性

震災時居住地:東京都

現居住地:宮城県

タグ: 宮城 地震

 1978年6月に仙台で宮城県沖地震を体験した。実家のブロック塀が崩れ、ガスが使えないなどの不自由な生活が続いたものの、家族4人に人的被害はなかった。
2011年3月の震災は、東京で体験した。実家の被害は軽微で、家族の被害もなかった。休みを利用して被災地ボランティアに参加した。そして、被災者支援を主とする仕事に転職し、現在に至っている。
2つの宮城の震災、そして阪神淡路や中越、熊本で多くの方が亡くなった。そして、その死を悼む多くの人々がいた。けれども、その中に自分を含めることはない。遠い場所でも、身近な宮城のことでも、死を悲しめない自分がいる。
 1979年8月に父と弟を事故で亡くした。戸惑いと将来への不安で悲しむ間がなかった。しかし、悲しんでいる「素振り」は見せた。傍からは、気丈に振舞っているとみられていた。なぜ悼むことができないのか、皆も悼んでいる振りをしているだけなのではないかと自問し続けて40年が過ぎた。心から悼むことができない葛藤は、今も続いている。
 2月13日に大きな余震が発生した。人的被害は少なく、亡くなった人もいないので、とても安堵している。悼む必要がないから。