忘れ得ぬ大切なモノを奪われて

◦忘れ得ぬ大切なモノを奪われて

西東京在住 浪江町より避難

後藤恭子  

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「東京、それはまるで竜宮城でした」。

3.11のあの日突然に発生した未曽有の大災害!加いて原発事故発生!あの日の惨状はどんなに時が流れても消えることはありません

 街中が「筆舌に尽し難い」悲鳴の渦、呆然とした人々、防災無線から「避難せよ」!ヒナンせよ!西の方へ避難せよ!と狂気の悲鳴の連呼です…

たゞ/\゛(ただただ)茫然自失、なにが真因なのか不明のまゝ追い立てられて、着たまゝの避難でした。あの時は明日には帰れると、誰もが信じての行動でした、が、最早10年の歳月が流れ、仮住いにも慣れてる自分に驚くばかりです。毎年あの日が来る度に脳裏に焼き付いた肯綮が浮び背筋の氷る思いです。避難所を転々とした一週間は地獄の底を見た思いです。食べ物は無く、何もナイ(○○)世界です

車中に寝泊り、携帯まで不通になり陸の孤島でした

 その中で最愛の母を亡くしてしまったのです

家族はバラ/゛\(バラバラ)慚愧の念で心の支えを失った私は 暗たんたる気持を引きづりながら着いたのが東京でした。そこは正しく竜宮城のような世界でした

 夜通し街中が煌々と輝き、周りには美味しいモノが溢れ、人々は美しく着飾り声高く笑い転げて…何と云う格差!今迄の私の苦しみは?なんなの…幾度も目を凝したものです。憤りが心底から湧いてきたのです。あんなにも、酷い目に合い多くの大切な人々を失くし、やり場のない心を持てあましたものでした

 

◦そして得たもの!

 東京で出逢った方々は皆さん温かくステキ人ばかり

いつも元気と勇気を頂きました

 未知の国東京、右も左も解らぬ地に放り出されて路頭に迷うばかり、知、友人の誰も居ない此の地は孤独との闘いでした、“明日こそ帰ろう!”と毎日考えるのです。精神の不安はふる里に繋がる沢山の思いでした。街中で「福島や、いわき」等の車のナンバーを見かけると駆け寄り、見知らぬ人でも言葉を交し心を癒やしたものです。そんな空しい日々が続いたのでした

 そんな時に出逢ったのが「福島県人会」のメンバーでした。「お茶飲みに来て…」と誘われたのでした

懐かしい響きでした、こゝに同郷の人が居るのだ…と思うと不思議な安堵感でホットする思いでした

遠縁の人に出逢えた様で救われる思いでした。それが切っ掛けとなり避難当事者とも結び絆が生れ交流の輪が広がり、明るく笑顔が戻ったようです

 しかし、潜り込んだような肩身の狭さは拭い切れなかったのです。私達も「小さな花を」咲かせたいね、との願望で、「まほろば会」の発足でした

心の寄り所が出来、さゝやかな仕事が出来て希望の灯がともり活き/\(活き活き)と参加して来ました

地域の皆様からも温かいエールを頂き協力者も多く自然に溶け込んでいけたようです。感謝/\(感謝感謝)です

 

◦これから背負うもの

「ふる里は遠きにありて…」との句があるのですがTVで放映される故郷の痛々しさは胸を抉られるばかりです。あの時の無惨な様子こそ、整理されたものの、何にも復興していないのです。私はこの所浪江自宅解体のため残務整理に度々通って目に入る景は、道路の両側に、田圃に、空地に見渡す限り真黒なフレコンバック(汚染物質入り袋)が山積み、それに原発の汚染水タンクが林立です

美しい自然の景色など見れないのです。海に目をやれば目隠しになる物はなく津波が曝って行ったまゝの海、多くの人を飲み込んだまゝで、今は凪です。思わず合掌…亡き人々の声が聴えるよう…

 街の方は、ほとんどが解体されて更地ばかり昔を偲ぶモノは何も見つかりません。代々と懸命に育くんで来たものを…やり切れない、悲しさに胸が痛むばかり…

 復興の掛ケ声だけは聞こえて来るのですが、目に見えるような具体的な可能性は遥かに遠いようです

私に神業の力があるなら…と無能な自分を恥るばかり

若い人達の努力に期待を寄せるのみです

 せめて元気で居られる内にふる里の復興する姿を見たいと願い、戻る人の仲間になりたいと念ずるばかりです